わごかせ宝探しの旅

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妄想できる人ほど楽しめる動画(一次創作)作ってます。想像力溢れるあなたにエンタメを。

【創作と自己肯定感】作品の評価が低いと傷付いて疲れてしまう私の思考

まず最初に言っておきますね。
私は心理のプロでも何でもありません。
人間心理も創作活動も(今のところ)素人の私が、「自分はひょっとしたらこう考えているのかもしれない」と気付いたことを、深夜のテンションに任せて書いていきます。
あなたもそうだとは言わないし、私自身だってあとで「やっぱり違ったわ」と思うかもしれないという、無責任な文章です。
そういうつもりでお読みください。

私はネットでは十年以上、ネットの外では子供のころからウン十年と創作活動をしています。
そんでもって私は私の作品が大好きで、「めちゃくちゃ面白いもの作ってる!」と思っています。

作品をネットで公開しては、反応に一喜一憂するよくいる創作者(一次も二次も経験あり、今は一次創作)なのですが、最近どうも自分が「作品の反応に対して期待と疲弊をしすぎている」と強く思うようになりました。
幸いなことに作品をものすごく叩かれた経験はなく、批判はあっても流せる程度なのですが、何がつらいって「思ったより見てもらえなかった」と思ってしまうことがつらい。
「思ったより」でわかる通り、私が勝手に「今回はバズっちゃうんじゃないの!? どうしようキャッキャ」などと期待しまくっているからこの悲劇は起こるわけで、期待が物凄いのでそれを果たせなかった結果リアルで体調を崩す程度には落ち込むわけです。
私はそれを、「自分の他者への依存心が高いせいだ。精神が未熟なせいだ」と思っていました(それは正解なのかもしれない)。

だからと言ってこのまま「しょうがないね、ずっと落ち込むしかない」では良くない、と思って、今日紙のノートにいろいろ書き出して自己分析してみたんです。
そうしたら色々なことが腑に落ちてきました。

まず、そもそも私の「落ち込む」のレベルがちょっと不健康すぎること。
言い換えると、「傷つく」が一番しっくりくる気がしました。
「勝手に期待しておいてずいぶんな言い種だな」とお思いでしょうが、まぁその通りです。

では、どうしてそこまで傷ついてしまうのか? と考えてみました。
そして「自己肯定感」などのワードををネットで検索していろいろ読んだ結果、「これなんじゃないか」という仮説に行きつくことができました。

「私は自分の事を誰からも愛されることはないクソゴミだと思っている(自己肯定感が低い)が、自分の作った作品は素晴らしいはずなので、作品を作り続けている限りは私には価値があると思い込んでいるのが傷ついてしまう原因ではないか?」というものです。

私が自分に「私は生きていていいんだ」と思うには、「私の作品は素晴らしくなくてはならない」という条件が必要で、実際に公開した作品の閲覧数などが思ったより伸びなかったときに「作品が当たらなかった」ではなく「私はここでも認められないんだ」と思い込んでしまう。
だから「凹む」に留まらず「傷つく」ところまでダメージを負ってしまうのでしょう。

私と同じような方がどのくらいいるのかわかりませんが、私はこれに気付いて「思い起こせばあれもこれも、こう考えていたからだと思うとすごくしっくりくる」と感じました。

冒頭にも書いた通り私は心理のプロでも何でもないのですが、原因がわかれば自分なりに対処方法も思い付いてくるもので。
もちろんそれがすぐに実現できるとは思いません。長年かけて作られた価値観ですから。
でも、少しずつ考えを改めていくことはできるのではないかと思えました。

例えばですが、

「他人は『私の作品=私自身』とは思っていない、と一旦冷静になる」
「作品は好みが合わなければ評価されなかったりするが、人間は好みが合わなければ相手を認めたり仲良くなったり好きになったりできないわけではない、と考える」
「そもそも私が創作やってることを知らない友人知人とだって少しはいい関係が築けているのではないか、と思い起こす」
「私は相手が自分の役に立たなかったら嫌いになるのか? 全く無関心になるのか? そうじゃないだろ? 他人だってそうだよ、と考える」

今思い浮かぶだけでもこれだけのことが考えられます。

私は「自分が認められるための義務感」だけではなく、純粋に創作が好きだし楽しいし、絶対にやめたくはありません。
創作を続けたい、そのためには期待しては傷ついている今を何とか変えていった方がいいでしょう。
一歩ずつ、健康で穏やかで楽しくいられる方へ軌道修正していこうと思います。


最後におまけ

今まで無意識に感じていたこととして、
「昔の漫画を読んでる時妙に心が軽くなることがある」
という経験があったのですが、ちょっとその理由がわかったような気がします。

今でもそういう漫画は普通にあると思いますが、昔の漫画は特に「法的に倫理的にアウトな奴がフツーの人として描かれている」ことが結構あったと思います。
普通に犯罪だろ、と思うことを軽率にやってる人間が、「悪人」「犯罪者」としてではなく「一般人」「モブ」「主人公の味方(何なら主人公)」として出てくるのです。
彼らが咎められないことが良いことか悪いことかは置いておいて、私はこういうシーンを見て無意識に「こいつらが堂々と生きてんなら私が生きてたっていいに決まってるだろ」という気持ちになって「心が軽くなった」のだと思います。
いや彼らの存在はフィクションなのですが、少なくとも作者・編集・当時の大人は彼らをなんとなく許していて、そういった表現が咎められるようになった今でも「現実にそういう人間がいないか」と考えたら「結構いるよな……」と思い当たるわけです(身の回りにいなくても)。
性格の悪い考え方ですが、明らかにマズい人間が堂々と明るく生きているのを見ると「私の性格の悪いのくらいなんだよ」という気分になってきます。

今回いろいろなことに気付けたので、この考え方も問題のない範囲で取り入れていこうかなと思います。