自己肯定感低いけどご褒美をあげるほどでもないプレーン味の自分を底上げしたい
今週のお題「自分にご褒美」
自分にご褒美をあげるのが大好きです。手軽に嬉しくなれるので。
最近もAmazonでポップコーンの種を2kg購入して、毎日ポップコーン祭をしています。
でも一時のご褒美で嬉しくなるのは一時だけ、という感じも無視できなくて、「どうやったら根本的にいつもいい気分でいられるのか」というのをノートに向かいながらうんうん唸って考えてみました。
そこで思い至ったことがひとつ。
「そもそも『何かいいことがないと幸せでいられない』ことが問題なのではないか?」
なんでもない日常のプレーン味を美味しいと思えないのは「結構な生きづらさ」になるのではないでしょうか。
私は自分をいわゆる「自己肯定感」が低い人間だと思っています。
何々ができるとか何々をしたという理由のない「プレーン味の自分」を認める(人間として大丈夫だと感じる)ことが難しいのです。
これまでも何度か、「自己肯定感」について自分なりに考えたことがありました。
よくある関連の本を読んでも「自己肯定感の低い人間は面倒臭く、人とうまくやれず、付き合って良いことはないので距離を置きましょう」と書いてあるように感じてしまい「じゃあ自己肯定感が育たなかった人間は孤独に死ぬしかないってこと?」と落ち込んだりもしました。
でも実際私みたいに自己肯定感が上手く育てられてこなかった人間はそれなりにいるはずで、そういった人間を「諦めて見捨てましょう」じゃなくて「何かできることはないのか?」と考えた方が絶対にいいと思うのです。
というか私が諦められたり見捨てられて人生終わるの寂しすぎるからね。
ということで、またシャーペン片手にノートに向かって考えました。
以下、そのノートの文章を画像にまとめてみたので貼っておきます。
【注意!】素人が勝手に考えたことなので間違いや的外れな部分もあるかと思います。そのつもりで「こんな考え方もあるんだな」くらいに読んでください。
なんかいろいろ考えてるうちに「生きてるみんな偉い……だから私も偉い……大丈夫……」と思えてきました。
いや当然まだまだ「スッキリ解決!」とはならないんですが、少なくとも今までの自分の生きづらさを改めて思い出して「よくやってきたよ」と思えるくらいにはなりました。
厳密に考えると「『よくやってきた』のは自己効力感の範疇では?」と脳内の自分がツッコミを入れるのですが、私は賢い人間ではないので「うるせーーーーーー!!!!!!」と(心の中で)大声を上げることで黙らせることができました。やったね。
ご褒美は良いです。幸せになれます。
でもたまには「ご褒美をあげるほどでもないプレーン味の自分を底上げ」するのも良いのではないでしょうか。